■ Travis Payne @徹子の部屋 ■
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2010.7.6(火) 13:20〜13:55

トラヴィス・ペイン
1992年よりバックダンサーとしてマイケル・ジャクソンとの活動を開始。 その後、振付師として才能を発揮し、数々のツアーを演出。 マイケルが死去した昨年6月まで活動を共にする。 ジャニーズ事務所のミュージカル 『PLAYZONE』 を手掛けるなど日本でもその活躍が注目されている。


黒 :
マイケル・ジャクソンさんが亡くなって本当に悲しかったんですが、1年経ったという事でますます話題沸騰していますが、今日のお客様はマイケル・ジャクソンさんの振り付けを20年間なさった天才的な世界的振付師・そして演出家でいらっしゃいますトラヴィス・ペインさん、今日のお客様です。
よろしくお願いします。
TP:
コンニチハ。(合掌)

黒 :
こんにちは。
マイケル・ジャクソンさんのこと何でも伺いたいと思っています。 この人、トラヴィス・ペインさんです。

≪CM≫
黒 :
今日のお客様はアメリカの方でいらっしゃいまして、本当に天才的な振付師・そして演出家でいらっしゃいますが、何といってもマイケル・ジャクソンさんのものを殆んど振り付けなさったという事で、特に亡くなったあと大ヒットで沢山売れた 『THIS IS IT』 ってありましたよね。
皆もう作品観るとあぁこれかってすぐお判りになると思いますけど、日本の人たちは皆すごく欲しがって買った、これの振り付けをなさったのが今日のお客様です。
これは英国で公演を彼がするためのリハーサル風景を映したものですよね。

TP:
そうです。そのとおりです。
50公演すべて売り切れでした。O2アリーナで演るはずでした。
黒 :
そうですよね…
でも、「これが最後の僕のコンサートになるんです」 とも仰ってましたよね?
TP:
そうですね。
マイケルがこのような形でのる最後の舞台でした。
もちろん、新しい才能を育てる・それから 『Heal The World』 という精神を持ち続けていました。
あなたと同じような事をよくやってきたんですね。 あなたも世界でいろいろな事をして下さっています。
人々に癒し・必要な人たちに必要な物を提供するために、同じことをマイケルもしてきました。
黒 :
そうですね。
そう、彼は 『癒し』 っていう子供たちが歌う曲も日本で作ったし、子供たちがマイケルと歌っているのを観ましたけども。
ちょっと話変わるんですけども、トラヴィス・ペインさんは日本にもうずいぶん沢山いらっしゃって、“しゃぶしゃぶ”が一番お好きと伺っておりますが。
TP:
(ウケて照れながら) Yes, yes. Yes, I love it.

黒 :
というのは、ジャニーズの 『PLAYZONE』 の振り付けで もう18回ぐらい日本にいらっしゃって、今回は5週間ぐらい…
TP:
Yes.
黒 :
すごーい。
TP:
そうです、今回は5週間ぐらいです。
高校の時、初めて(日本に)やって来ました。 アメリカの親善大使としてやって来たんですよ。
18回といっても本当に長い時間です。
いつもここに来るのは楽しかったです。 いつも本当に仕事が楽しかったです。
黒 :
その留学期間もダンサーになりたい気持ちはおありだったんですか?
TP:
そうです、もちろん。 5才の時からそうでした。
マイケル・ジャクソンを初めて観た時から鼓舞された気持ち。
私の人生のゴールは、彼と仕事をする事でした。
彼の音楽・それから人々に対しての親切さという事に胸を打たれたからです。
黒 :
では今でもやっぱり踊っていらっしゃいます?
TP:
もちろん。 特に今年 『PLAYZONE』 のリハーサルの稽古をいま行なっています。 全く新しいキャストですね。
メリーさんとジャニーさんと日本で仕事をした時、最初は少年隊が 『PLAYZONE』 を演っていました。
そして皆と親しくなりました。 特に東山さんと私、良い関係でした。 ですからいつも戻ってくるのが楽しかったです。
今回は全く違った新しいキャストなんです。 今井翼さん、…(以下省略)
黒 :
私 『PLAYZONE』 をいつも拝見していたんですけども、マイケル・ジャクソンを振り付けしてらっしゃる方が振り付けしてるってことをちょっと知らなくて、失礼致しました。
TP:
Yes, yes.
黒 :
でも、トラヴィスさんの略歴なんですけど、ちょっと私ビックリしたんですけど、授賞歴なんですけど…
1992年から4年続けてMTV最優秀振付賞をアメリカで獲ってらっしゃる。 これすごいと思いますよね。
それから、1996年から4年続けてボブ・フォッシーの最優秀振付賞を獲ってらっしゃる。
TP:
恵まれてました。
黒 :
ボブ・フォッシーといえば、アメリカでは振付・ダンサーとしては神様みたいな人でしたよね。
彼の名のついた賞を4年連続で獲ってらっしゃるのが今日のお客様です。
それから、1994年にはミラーホール(多分?)の殿堂入り。
これは音楽業界における偉大な功績に対し、という事なんですけど。
TP:
そうですね。 こういったものは皆本当に恵まれたから(受賞)出来たという事です。
私が自分の信念に基づいてダンスを踊ってきたから出来た事だと思います。
私のダンスへの愛が、全てを可能にしてくれました。
本当に光栄に思います。
黒 :
あと、ミュージックビデオ制作者協会の最優秀振付賞も3年連続で獲ってらっしゃいます。
それからマイケル・ジャクソンのツアーももちろん振り付けてらっしゃるんですけども、ダイアナ・ロスとか、曲によってはマドンナなんかも振り付けていらっしゃいますが、ねぇ、本当に素晴らしい振付の方が日本にこんな風にいらしてるっていうのは、私ぜんぜん知らなくてただビックリしておりますが。
それでは、『THIS IS IT』 のお稽古をしてらっしゃる、これが本当にイギリスに行って、これからやるんだぞという本当に熱のこもった、亡くなる直前までやってらしたリハーサル風景のビデオを、ちょっと一緒に観せて戴きますね。

≪マイケルが現場に入ってきたシーン≫
≪マイケルがドリルダンスをダンサー達に教えるシーン≫
≪ドリルダンスのリハーサル≫
≪TDCAU≫

 
トラヴィスが観ながら首でリズムを刻み、「Who's BAD」 と一緒にエアシャウトしてるのに到っては滝ナミダ

黒 :
マイケルさんはこれの直後に亡くなったわけですけど、私たち本当にびっくりしましたけど、あなた方にとっても本当にびっくりなさる…
TP:
そうですね、勿論そうです。 世界の皆と同じように茫然としました。
6月25日のことでした。昨年の…
あと8日でロンドンに行くところでした。 で、最後のリハーサルを始めるところだったんですね。 7月4日からのショーでしたから。
私は実際その時、マイケルの家へ向かっていたんです。 毎日のリハーサルの為にですね、彼の家へ向かっていたんです。
本当に衝撃を受けました。
最悪の事はその時・その時点では、そんな事は私の身に起きるとは思ってもいませんでした。
でも… 引き続き、彼と一緒に過ごした素晴らしい思い出・彼が私の人生に対してどんなにインスピレーションを与えてくれたか・彼がどんな恩師だったかを話す機会をずぅっと与えられてきて、良かったと思います。
彼の、ビジネスやエンターテインメントに対する姿勢・今後は彼のレガシーを伝えていく事・良い作品・そして 『Heal The World』 という事を伝える責任があると思います。
黒 :
ロンドンで50公演という ちょっと考えられないような数の公演でしたけど、それも彼がこなす体力とかエネルギーは全部あったようにお思いでしたか?
TP:
私の意見では、“そう” です。
『HIStory』 の時はもっと沢山の公演をしましたし、ロンドンでのショーというのは1つの場所でのみの公演でしたから、初めて世界の人たちが彼の公演をやる所にやって来る。
この “移動”というのは、本当にエネルギーを使うという事でダンサーにとっても大変だったので、ですから本当に満足していました。
黒 :
(視聴者に向けて) さっき 『HIStory』 と仰ったのは、移動してのツアーをずっと振り付けなさってたんですよ、いくつものショーをやってらしたんです。
それに比べれば、ロンドンで50公演というのは動かなくて良かったのでそれはとっても良いし、それからマイケルさんも楽しみにしてらっしゃいましたでしょうね。
TP:
勿論そうです。 50公演、9ヶ月で行なうという事です。
次にどこ行きたいかも既に考えてたんですよ。
1つの場所で行ないたい・日本にぜひ戻りたいと言っていました。
本当に良い思い出が日本にはあるんです。
彼の頭の中では まだ、『1つの場所にいるんだけれどもツアーをし続けている』 という感覚だったんですね。
でもその1つの場所にする方がツアーとしてはとても簡単でした。
黒 :
彼の日本での最後のショーになってしまったんですけど、私も行って観たんですけども、ものすごい素晴らしいショーだったんですけど、ああいう時に、マイケルもあなたもお思いになった事は、お客さん達が帰る時にものすごく押し合いへし合いしないで静かにセクション毎にキチンと帰っていくっていうのが、なんかとっても 「日本人っていいな」 っていうとこだったんですって?
TP:
そうです、そうなんです。
いろんなコンサートで、本当に興奮が沸き立っていました。
でも日本では、興奮もあったけど規律もあったんです。 それは本当に私にとって記憶に残ることでした。
本当にお互い、もちろん楽しい時も過ごせるけれども、やはり道も安全だし、スタジオの中でも本当にお互いに理解があってお互いを尊重する・お行儀が良くて、本当に楽しめるけれども規律もあった。 キチンと規律が整っていて、それが伝統でした。
本当に素晴らしい、それが日本での経験でした。
黒 :
マイケル・ジャクソンさんを舞台で観ている時に、あれほどのダンサー・あれほどの歌手はいないって思って観てましたねぇ。
本当にあなたもそうお思いになりますでしょうね。
TP:
いつもそう思ってます。
マイケルの音楽と彼のダンスは、『彼の言語』 のようでした。
それを通して彼はコミュニケーションをとっていたんです。
音楽やダンスを通していろいろな事が出来たと思います。
世界の人たち・J-Friendsとも仕事をしたと思いますが、ジャニーズ事務所の人たちと仕事をしたり、彼のアートや才能や影響力というのは本当に計り知れないものでした。
私はその一部になれたという事が、本当に恵まれていたと思います。 夢が叶ったと思います。
黒 :
今 “J-Friends” と仰いましたが、これは阪神大震災に関係あることなんですが、CMを挟みましてお話させて戴きますね。

≪CM≫
黒 :
(視聴者に向けて) 今ちょっと “J-Friends” と仰いましたけど、それは阪神・淡路大震災の時に、ジャニーズの若手の人たちが・TOKIOとかKinki-KidsとかV6が一緒になって J-Friendsってものを作って歌を歌ったんですね。
チャリティーソングだったんですけども、その作詞作曲がマイケル・ジャクソンだったんですね。
私それも何かまたボンヤリしてて知らなくて、電話でちょっと聴けたりとか、(プッシュホンを)押すとお金になるとか、私も電話でお話をしたりとか そういう事して皆ですごくお金を集めるような事をしたんですけども。
そういう事のためにマイケル・ジャクソンさんは歌も作詞作曲して下さって、それをジャニーズの皆が歌ったって事があったんですね。
いつもそんな風に世界の子供たちのことをマイケル・ジャクソンさんは心配していらした?
TP:
Always, always.
いつも、いつもです。
いつも認識していました。 世界で何が起きているのかを知っていました。
マイケルが亡くなる前にも、フィリピンでは津波が発生しましたね。 ハリケーン・カトリーナがアメリカのニューオーリンズで発生しました。
こういった事で本当に彼は打ちのめされました。
こういった人たちのことは知りません、でも人間である事で彼はとにかく同じ人間として出来るだけの事をしたい・彼にはそれは 『責務』 だと思っていたようです。 彼の責任だと思っていたようです、出来るだけのことをする事が。 そしてそれを実施していました。
本当に、匿名で支援をしていた時もあるんです。 注目を集めるようにと思われてはならないようにですね。
だから彼にとっては大切な事だったんです。
黒 :
私たちは、マイケル・ジャクソンの派手なところばっかりが報道されていたんだけど、彼が地球環境のことも心配し 子供のことも心配し 匿名でお金も皆に寄付したりとかって そういうような事が、判らなかったかもしれないけど報道されなかったので、そういう風なイメージがもっと皆に伝われば良かったなって思います。
まぁ彼が天才的な人だっていう事は判っていたんですけど、そういう事についてはちょっと判らなかったのは残念と思いますけども。

≪以下、少年隊とのPLAYZONEの映像&話≫
TP:
彼ら(少年隊)が、ジャニーズ事務所との仕事を可能にしてくれたんです。
ジャニーさんが、アメリカの振付師マイケル・ピータース(※“Beat It”の白ボス)が私に本当に影響力を及ぼした人物だという事を知っていて、そしてまた振り付けをしてくれと・新しいアーティスト達とコラボレーションしてくれと言われた事は光栄でした。
ジャニーさんとメリーさん、本当に成功を育んできて下さったと思います。
東山さんとは先週会ったんです。いつも会うと楽しいんです。

≪CM≫
黒 :
たくさんの、マドンナとかダイアナ・ロスとかマイケル・ジャクソンとか、アメリカのすごい人たちの振り付けを沢山やってらっしゃるんですけども、アメリカのそういう人たちって独特の努力とかそういう風なのをしてるってのはあるんですか?
まぁ相当努力してるとは思いますけど。
TP:
勿論そうです。 皆、本当にすごいんです。
ダイアナ・ロス、伝説の人です。 彼女と一緒に仕事をするのは本当に楽しいです。光栄です。
マドンナも本当に存在感がある、素晴らしい存在感がある人だと思います。
レディー・ガガの最新のツアーも振付けたんですが、ただマイケル・ジャクソンは本当に早くに彼女に注目してたんですね。
マイケルは、音楽の方向性というものを解っていました。 どのように音楽が進んでいくかを。
レディー・ガガの事も、最初からもう解っていたんです。 そしてその彼の言った事が正しかったんですね。

彼の芸術性に加えて 彼の人間性というものが、本当に私は大好きでした。
そして寛容性ですか、人々を理解してくれるという気持ち。
黒柳さんも同じ精神をお持ちだと思うんですけども、皆あなたのような人がもっと必要だと思います、世界を癒してくれるような人が。
黒 :
いま伺ったところによると (ちょっと涙声)、まぁ私は別としましても、ダンサーでもシンガーでも、素晴らしい才能があっても、やっぱりそういう風な精神がとても大事なんだという事を仰っているんだという風に思います。

≪以下、今井翼氏とのPLAYZONEの映像&話≫
≪CM≫
黒 :
アメリカでも、ダンサーになろうって5才から踊ってらしても、名前が出るのはなかなか大変なんでしょうね。
TP:
そうですね。
私はその部分にはあまり焦点は当てずに、ダンスが好きだったんです。
でも両親が本当にダンスを勉強する機会を与えてくれました。 そして素晴らしいダンスアカデミーに9歳から参加することが出来ました。
それから高校でもアートとしてダンスすることが出来ました。 そしてゲディ・ハリスンという最初の恩師に出会ったんですね。 LAに19歳で引っ越すまでインスピレーションを与えてくれました。
黒 :
日本の皆さん、『THIS IS IT』、たくさんお買いになった方いらっしゃると思います。
表紙の写真を見ればマイケル・ジャクソンってすぐ判るんですけども、あの時の振付・演出、そういうものをなさった方が今日のお客様ということを今日皆さんご覧になって、そしてあれをもう1回観直して下さると、またいろんな事を思いつくんではないかしらという風に思いますけど。
今井翼さんの 『PLAYZONE』 のご成功も祈っていますし。
TP:
Thank you.
黒 :
どうもありがとう。
TP:
アリガトウゴザイマス。
黒 :
これから何度も何度も日本にいらして、しゃぶしゃぶも食べにいらして下さい。
TP:
(爆)
黒 :
どうもありがとうございました。
TP:
(手を取り合って) Thank you, thank you very much. Thank you.
 
もんのすごく丁寧に、泣きそうな顔で手をとるトラヴィス


でも顔を上げると会心スマイル♪

黒 :
どうもありがとうございました。 トラヴィスさんでした。
TP:
(お手振り)

マイコー来てるよコレ;;;

おわり。

written by. 戯 (http://zare.blog.shinobi.jp/